記事NO1

         事件の真相 最終回

 

       小さな村の大きな事件[旧土佐山村]

  

収入役の巨額流用事件発覚ら16年ぶりに高知刑務所、拘置所内からの1通の手紙を公開。

(受取日、平成14年7月18日)この村の金は長期にわたり、収入役一人が自由にできていた。

  

 事件発覚当時の記事の一部分。

 <特集>

 大事件の村は消える?

 

 高知県土佐山村「こんな村に誰がした」   

   平成13年1月27日夜、「土佐山村の収入役が15億円使途不明」〃

 

 村中が凍り付くような大事件のニュースが流れた

   村民は、「なぜ?」「どうして?」・・・様々な推測、憶測、噂、疑惑、収入役に深く係わったと言われる議員名、夜の街を一緒に飲み歩いたと言われる監査員・役場職員名、そして特定村民の名前がずらり広がった。

  

 門田博文村長は、「村に責任はない」「村民に迷惑はかけない」そう言い切った。そしてこの事件を釈明、解決する為に「職務を全うする」と言い続け、己の職務上の管理、監督責任を怠った進退のけじめをつけないまま、、

 

 一般社会ではとても許されることではない。民間会社なら大変なことだ。絶対に許されない。しかしこの村ではそれが許され続けているのは驚くべき異常な村である。

  事件発覚から疑惑に一貫して言及(追及)を続けた議員は高橋英雄議員のただ一人、あきれた議会である。

  解 説

収入役の巨額流用事件発覚の前の平成11年、春の統一地方選で勝利して5月に門田博文村政が始まり、わずか、1年7ケ月目に事件が発覚したが、不正は4期16年続いた鎌倉利夫村長時代が主で、収入役の不正の90%は鎌倉利夫村長時代のよう。 

以下省略。

 この事件の詳しくはJSN通信 』の特集 : 小さな村の大きな事件[旧土佐山村ご覧ください。

参考文献。

 土佐山村については、、

 ウィキペディア -( Wikipedia)インターネット百科事典、に記載されている。

  2001年(平成13年)127 - 1982年から2000年まで在任していた土佐山村収入役が起こしたことによる土佐山村役場収入役背任事件を公表する。

 2005年(平成17年)11 - 土佐郡鏡村とともに高知市へ編入合併し、自治体としては廃止された。

 


 

収入役の巨額流用事件発覚ら16年ぶりに高知刑務所、、拘置所内からの1通の手紙を公開。

(受取日、平成14年7月18日)

      手紙の解説

 重要点、、手紙の1ページ

黒塗りは、未払いへの詫び、実名の親族への詫びのため黒塗りに、、

 

私がどうして大変なことが(不正)15年もできたかについて、それは、出納事務を村の出納員がやっていなかった。

 

手紙の2ページ(要約)

 指定金融が農協の関係で農協の臨時職員が出納事務をやっていて(給料は農協)役場の職員はいなく、(お金のことは)収入役だけで、、チェック体制ができていなかった。

  

この問題には鎌倉村長に役場職員を出納室で他の事務をしなくするように言ったことがあるが、その後もそのままが続き、

(そのことは平成11年10月10日の夜、二人の飲食の場で聞いていたが、役場職員に出納事務をやらせるとお金が鎌倉村長が自由に使えなくなるので収入役の言うようには、早速しなかったわけか、)村長が変わった時期となりそのまま、、

 

(門田村長は平成11年、春の統一地方選で勝利して5月に門田村政始まる。)

 

  (不正を)をやったことは、100%悪い、言いたい事があれば、?この程度、、

 

村の職員が出納事務をやっておれば不正はできなかった、、そのことを述べている。

 

       収入役の拘置所内からの1通の手紙からはわかることは、、

 

     この村の金は長期にわたり、収入役一人が自由にできていた。

  

 鎌倉村長が残した赤字財政を門田村長に引き継ぎの際には説明をしていなかったことを、平成11年1010日の夜、二人の飲食の場で聞いていた。

 

 このような出納事務が、土佐山村は鎌倉利夫村長の昭和58年 (1983年)から4期16年間の独裁村政を続け、門田博文村長は平成11年5月から1年7ケ月目の平成13年1月まで続いており、この二代で17年7ケ月の長い村政で監査役は全く監査の役目ができていないことがはっきりした。

 

 

 

また、監査役が監査のつど収入役と飲みまわっているとも聞いた。

     平成11年10月10日午後6時ー10時まで高知市内の料亭で収入役岩﨑唯男と2人で飲食を共にしたときの話では、実際には監査のできるような監査役の人たちではないことも聞いていたし、その程度の人たちで無心への対応が多くて相談もできずに一人で金の苦労をしているので助けてくれんか、、と相談を受けていた。

 

この長い期間、村議、役場職員らは収入役の支払いで夜の酒場へ通い、この状態を続けていて村に責任はない、村に責任はない、そうしてしまった(事件発覚後の村長選では)70%の村民がその姿勢の村長を支持したその資質には村外からは疑問の声が多かった。

 

つまり収入役一人の責任にして飲み潰して、村は消えた、そのような見方もある。

 

◎ この事件から数年後、高知市内の葬儀で出会った元助役に、最近顔が見えないが、と伺ってみた。

 元助役大藪氏は、僕は村民に(役場幹部の一人として)迷惑をかけており、人の前に出られる立場ではない。極めて控えめにあった。

 村に責任はない、と言い続けて責任をとらなかった鎌倉元村長と監査役や村議らとは大違いの元助役。

  

     事件発覚の前に収入役から直接聞いた話では、、 

 

     平成11年10月10日午後6時ー10時まで高知市内の料亭で収入役岩﨑唯男と2人で飲食を共にした。

 

その時の話の中には、実はオーベルジュ土佐山は、公表は12億、実際は地域対策費など24億かかっているので、金のやりくりで困っておるので知恵を貸してくれ、と頼まれた。

※ 確かに事件の発覚後の捜査では、オーベルジュ土佐山の建設当時の借入金が急に多くなっているので収入役の話を裏付けているようだ。

とにかく、その場の話では、収入役と鎌倉村長との間は、あ、うん、の間柄で物事を進めているみたい。

 

また、その時の話では、今の財政では、このまま門田村長に任せてやってゆける村の財政ではないことも話された。門田村長には財政難の状況を説明していないままで鎌倉村長から引き継いでおり、哀れは門田村長だ。

  

ふるさと創生資金1988-1989(平成1年)は、、、

 あの1億円の金は、鎌倉村長が、どこへ、、、何へ使った、、かわからないようにしてしまった。

  この裏金の工面で一人苦労しておる、村の資金難をそう打ち明けた。

  

 その席では、地方交付金の増額の方法の新規事業の提案を受けた。

 その事業計画を土佐山村、梶谷の三軒家で進めている途中で平成13年1月27日、、、、、事件が公表され中止。

  

事件の真相から言えることは、収入役は一人で町の酒場に通っていたわけではなく、村議、役場職員、村の有志などが同行しており、当時のニュースのなかには、あるタクシーの運転手は週に5日の予約があった、村の若者の一人は、一晩に7ケ所の店に行ったとの証言もあるように、いつも同行者がいたようだが、その中に収入役に対して、このようなことはやめるべと忠告する者がいなかったことも異常である。

 

元、長期村政の岩崎俊一さんは、誰かが止めてくれる人さえいれば、こんなことにはならずに被害も少なかった筈で、防げたのに情けないことだ、、総務部があって、やっているので中学生でも不正のことは、わかる程度で、そのようにしきりに言っていた

 

議員で収入役の誘いで酒場に行かなかった議員がわずかに3人だったそうだ。

 

この経過の事件で村に責任がないと言えるだろうか、、

 鎌倉利夫村長は昭和58年 (1983年)から4期16年間の独裁村政を続け、門田博文村長は平成11年5月から1年7ケ月目の平成13年1月27日夜、土佐山村の収入役が15億円使途不明」発覚まで、、

 

事件に関する監理責任の割合の単純計算では、、数字の上では、、

鎌倉利夫村長 約5840日  約90%

門田博文村長 約 575日  約10%弱

このような監理責任の割合にありながら鎌倉利夫元村長は自分の村政の期間の責任を認めようとせずに1年7ケ月の短い門田博文村政へ、ずっしりと、全ての重荷を負わせた、門田博文村政は哀れなもので、むごいもの、、

そして全国ニュースで報じられ、こんな歩の悪い村長がどこにいる。  なぜ、正直に言わなかったのか、、前の村政からの引き継ぎの時には私には隠されていた。全体の10分の1の監理責任がある。正直にこういえば展開が変わっていたであろう。(その後、再選されて平成16年12月まで門田村政は続いた) 

 

鎌倉利夫村政から長い期間にわたって、いいめにあっている村民の多くは門田博文村長なら、ほんとのことを言わないから安心そのような思いで支持しているとの見方もあった。 

この事件のあとで、土佐山村と鏡村が高知市へ編入直前の高知市民のアンケートでは反対が多かったが、2009年(平成21年)521日に施行された裁判員制度で岩崎収入役の裁判が行われていれば『村に責任はない』そんな判決にはならなかったであろう。村民が控訴しておれば変わったであろうとの見方もある。

 

仮に、飲酒運転に例えれば、岩崎収入役の支払いで飲みまわった監査役や村議、役場職員らは皆んな罪がある筈だ。こんな村へ融資をしてきた金融機関の損失は大きい。

参考

裁判員制度 

(さいばんいんせいど)とは、特定の刑事裁判において、有権者(市民)から事件ごとに選ばれた裁判員裁判官とともに審理に参加する日本の司法・裁判制度をいう。 

小泉純一郎内閣

司法制度改革推進本部法案裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(通称:裁判員法)[* 1]」を国会に提出し、2004(平成16年)5月21成立。裁判員制度は同法により規定され、一部の規定を除いてその5年後の2009(平成21年)5月21に施行され、同年8月3東京地方裁判所で最初の公判

が行われた。

県内外で住所が土佐山と言えば、聞かれるのは事件のこと、事件の真相を聞かれる。

 ウィキペディア -( Wikipedia)インターネット百科事典、に記載されているので広く知られた事件である。

今の土佐山は事件当時に役職にあった、そんな人たちが土佐山のおもな役職をやっているので現代の教育を受けた若い世代へ早く譲るべき。

 

 平成26年8月23日の午後、事件の前から土佐山村に事務所をおいていた建設業者のT社長から突然の電話を受けた。

ワシは今高齢で病床からだが、あの事件のことを話しておかずに死に切れんので書いてくれと言う。

事件は鎌倉利夫村長と収入役の合作だという。

収入役が勝手にやったものではない、土佐山村内の建設業界の特定業者との癒着や、特定の人物の名前を挙げての長い説明、、その話の中に、門田村長は鎌倉村長からの引き継ぎの時に、村の財政難の説明を詳しく、なぜ受けなかったのか、それをはっきりしておれば、門田村長の在職は短く責任は極めて少ないはずだが、、と言う。

 それに対して、当方は、今は静かで、平穏な時期でもあり、話は聞いておくが、今後、事件について掲載の機会があればその時に、、と言い渡してメモをとり電話を終了したが、この事件の捜査では不正の始まりが、平成3年からになっているのでT社長の話にも信ぴょう性はありそうだ。

 

    この事件の真相は、収入役がすべを背負って他界した。

そして門田博文村長も真実は語らず、、本当のことは言わせてもらえない、その立場に置かれたプレッシャーに耐えながら鎌倉利夫村長の4期16年の間に残した負の大きな荷物を大きな袋にいっぱい詰めてそれを背負ったままで村を高知市へ編入。 

物事には見方がある、見方によれば、こんな歩合の悪い村長が他にいるだろうか ?         門田博文村長は忍耐の村政であった。そのために助かった村民が多いかも ?

 

岩崎唯男は平成の天野屋利兵衛か!!

 

 天野屋利兵衛とは大阪の商人で、大石内蔵助を初めとする赤穂浪士の討ち入りに協力した人。

 

利兵衛は蔵助の頼みで討ち入りに必要な槍二十本を秘かに江戸に運び、そのことが奉行に見つかり拷問を受ける。

 

 赤穂浪士が仇討ちを遂げるまでは拷問に耐え、妻子を人質に取られても一切赤穂浪士のことは話さなかった。

 

 この事件の真相では、収入役の町の酒場通いに同行者の世話をしていたと言われた役場幹部の何人かは収入役の事件の幇助に当たるのではなかろうか? この事件発覚当時の取材中、住民運動のさなかでは、よく言われていた話

以上

平成30年3月28日

 高知,JSN

 編集長 杉本 武繁